女の幸せってなんぞ

ライターなら ナンシー関西原理恵子とか
漫画家なら  高橋留美子安野モヨコとか

僕の好きな作家は女性ばかりだ。男性が得意とする暴力・冒険・権謀・著者の内省どれもそれほど好きではないという消極的理由から始まったこの趣向は今も続いていて、最近はマンガも書籍も女性の著書を選んで読んでいる。トータルバランスに優れ、主張が独りよがりでなく、心理描写が丁寧、荒唐無稽でなく地に足のついた表現。そういった特長は女流作家ならではであり、男性の作品には比較的少ない。


僕は性差というものを積極的に認め、男女で得意な分野は大きく違うものだと考えているが、特に文筆業やマンガ家などは女性の方が向いているように思う。JKローリングのハリーポッターシリーズや戦後日本のベストセラー第一位である黒柳徹子の窓ぎわのトットちゃん、マンガでは少女マンガを抜きにしても高橋留美子や「鋼の錬金術師」の荒川弘など、性別・時代・世代をとわず愛される傑作が女の手により生み出されている。そしてなぜかそういった作家はほとんどがずっと独身か、離婚歴のあるシングルマザーであったりする。これはなぜなのか。


共通点として「独身である」ということは、実は大きな意味を持っている。女性は本質的には子を育てる性として形作られ、与えられている生命力が男性より高い。本来なら出産・人間関係・特定の男性・自分の子供に振り向けられるはずの大きなエネルギーがほとんど創作に向かっている彼女たちの仕事ぶりは男性を遙かに凌ぐパワーがある。そのなかでも恋愛・結婚・家庭・あるあるネタで勝負しない女流作家は性別を超えて幅広い支持を受けることができる。逆に結婚している女性で、恋愛・結婚・家庭・あるあるの要素がどれも入っていない文章・マンガ・歌詞・ネタをかく作家はおそらくいないのではないだろうか。


昔、巫女という存在が神の啓示を受け、収穫・天気・戦争の勝敗・吉兆などを占い、それが国の進路を決めていた時代があった。巫女は男性との接触を許されず普通の女性としての生活を送ることはできなかったが、それがために脇目もふらず様々な報告・観察をデータベースとして蓄積し、説明はできなくとも直感的に神の言葉として進むべき道を為政者に伝えることができた。逆に言えば家庭も異性も絶たれた特殊な状況でなければ、その神性は決して発揮できなかっただろう。


つまり、ほとんどの女性にとっての一番の関心事は恋愛と子育てで、その他のことはそれより後回しになってしまう。芸能界・体育会系・オフィス内で恋愛が御法度であることが多いのは、どうしても恋愛が優先してしまうからだし、直感で男の浮気がすぐにわかってしまうのも相手への関心が高くてちょっとした変化に敏感になれるからだ。また、泣く赤子の気持ちを汲んだり子供のことを一番わかってあげられたりなど、母親としての能力はコミュニケーション力として女性の方により備わっている。


女性の生き方というテーマは今も頻繁に意見が交わされるテーマではあるが、脳や体は恋をする→愛し合う→家庭をつくる→子供を育てるという生き方を推奨しているようだ。本能的な物なのか「家庭・子供をもってこそ一人前」「女としての本当の幸せはそこにある」などの考えは男女をとわず多数派である。もちろん、そういう考えは僕も多少は持っている。しかし、どんな理由があったのか、はたまた理由などなかったのかは知らないが、子育て以外のすごい仕事を成し遂げた女性たちを尊敬するしシンパシーを感じる。それはその仕事そのものもさることながら、いろんな物を犠牲にして時には自分の気持ちも抑えながら突っ走り、まるで本能に逆らっているようなその心の強さに惹かれるからなのだろう。