どこかに天才はいないか?

namazuことKとはよく話す機会があるのだが、
たいていの場合話は尽きないし、話はよく盛り上がる。


だが、この間自分が出したあるトピックの意図するところが
彼に伝わりきらなかったような気がするのでここで弁解したいと思う。


知り合いに「天才」っているか?
俺は見たことがない。できることなら会って話をしてみたい。
ここで言う天才というのは、「信じられないほど頭がよく、言ってることの意味が分からないくらいに頭の切れる人」という意味で言っていて、「努力の天才」とか「人たらしの天才」とか「とあるスポーツの天才」とはまた違うものだ。


本論の前に、なぜ天才を限定しているかというと…


「違う」といった分野は自分にとって不得意分野である。そういう分野の天才達の存在はすでに自分の理解の範疇にはない。「どうしてほとんど寝ずに努力できるのか理解不能」「どうしてそんなにさわやかなのか、真似できない」一番不得意な運動に至っては普通の人ですら天才に見えて「どうしてボールを真っ直ぐ蹴れるのか分からない」状態である。そうしたコツはなかなか言葉で伝わらないし、言葉で伝えられても自分のものにするには自分なりの咀嚼が必要だ。
で、「そういう人の真似をしたって失敗するだけだ」と自分自身で納得してしまい、マイペースになったのが功を奏して独自の努力、人当たり、スポーツのやり過ごしかたが発見できた(またはできそうな)ので天才達に憧れる必要がなくなったからだ。(「人は人、自分は自分」と真に理解したのは21歳くらいのときだったなあ)
以上は、言葉の理解と能力の関連が薄い分野であるといえる。


今日、話題にしたいことは「言葉の理解」そのものにある。
これは自慢なのだが、俺は、その人の頭が良すぎて何を言っているのかその価値が分からない、という事態にはついぞなったことがない。だから、自分の身の程を知らない。(段階を踏めば)自分に理解の出来ない話などないと思っている。
これは、部活の先輩の指導の意味がそのとき理解できずに後年になって「あのとき言っていたのはそういうことだったのか」ということや、年配の人の講演会などで「大事なこと言ってるんだろうけど、今の俺にはよくわからない」というようなこととは違う。そのアハ体験は自分とその人との圧倒的な経験差ゆえに生じた齟齬やディレイであり今話題にしていることではない。普遍的なことを話題にしているときに自身が理解不能に陥ったり、話についていけなくなったりしたことがないという意味である。
もちろん、自分の考えの少し上をいく話というのは非常に興味をもって聞けるし、頭の刺激にもなる。みんなと話していて一番楽しい瞬間だ。だが、自分の理解を圧倒的に超える話というのはあっただろうか。大体、友達の中に誰にも通じない話をしようという変人がいないので当然なのだが、それでも真の天才にまみえることが出来たならば、天才はその爪を隠すことが出来ず、その片鱗に触れられると思う。
天才の発言の価値が分からなければ、その人が天才だと分からないじゃないかという意見があるかもしれない。天才だって俺が理解不能な話を延々続けるわけではないだろう。無意識にヒントをちりばめていて、その理解可能な一片に触れることによって、その他の発言の深遠さが分かるのだろうと思う。


みんなは友であると同時に数少ないアカデミックな話のできる仲間であり、自分に絶えず刺激を与えてくれる大変貴重な存在だが、それではまだ足りないのかもしれない。俺の心をくすぐってもてあそんだ挙句粉砕してくれるようなまさしく格の違う天才と場の空気なんか忘れてしまうほどにディープな話をしてみたい。そしてそれについて行けなくなったとき、引導を渡して欲しい。お前は何も分かっちゃいない。根拠のない自信は持つなと。そこまで見せつけられて初めて、俺はまともな社会人(会社人?)になるように全力を尽くせるのだと思う。


相変わらず頭がお花畑で参るわい。


追記 この☆って何なんやろ?自分で押してたらめっちゃふえた。